留学生時代、私は練馬区の光が丘団地に近い、ある日本人の家で一年間下宿していた。
公立中学校で英語教師をしているその庭付き一軒家の女主人は、休みになるとよく一人旅をしており、その年のゴールデンウイークも一週間のオーストラリア語学旅行に出かけるという。その、出発直前、彼女は突然五万円の入った封筒を差し出すと、
「明日から二日間、庭の手入れをしに植木屋さんが来るからちゃんと留守番しておくように」
と言った。
そう言えば、庭の木々は前の年からが少しずつ傷み始め、銀杏の木は枯れ、柿には実がつかなくなっている。そう思い、毎年隣のマンションで剪定をしている顔見知りの植木屋さんに声をかけ、無理矢理自分の家にも来てくれるようお願いしたらしい。ちょうどシーズンで予約が詰まっていたその植木屋さんは、次の連休なら造園会社を通さず個人的にやってあげてもいい、と言ったそうだ。
彼女の話では、その植木屋さんはただの植木屋ではなく、CDも出しているミュージシャンなのだという。
植木屋とミュージシャン。その接点が、両方の門外漢で外国人の私には到底理解できなかった。一体どんな音楽をやっているのだろう。好奇心旺盛な私は興味を引かれ、彼が来るのが楽しみで仕方なかった。
「ごめんください。植木屋ですが…」
お昼休みも終わるような時分になって、彼へ五月の風と共にその家へとやって来た。小柄で日に焼けた顔にクリッとした目、洗いざらしの手拭いも清潔感がある。軍手を外すと綺麗な細長い指先が見えた。それが音楽をやっている唯一の証だろうか。
主人が留守だということを知っていたらしく、早速、道具を庭に運ぶと、庭の木をざっとチェックする。
「かなり傷んでいますね。とりあえず始めましょうか」
そう言うと、すぐに梯子を組み立て、腰からはさみを取り出し作業に取り掛かる。イチョウの根、柿の枝、地面に落ちた灌木、どれも同じくらい手間をかけ手入れしているように見えた。その様子を見ていると、自然と彼が木を大切にしていることがわかる。本当に心をこめてやってるんだなぁと、私はすっかり感心してしまった。
数時間が経ち、冷たい小雨が降り出した。私は女主人に託された通り、彼にお茶を勧めた。部屋に入って来た彼の体はちょっぴり濡れており、湯気が上がっている。
「音楽をやっていらっしゃるんですってね?」
私は淹れたてのお茶を進めながら、唐突にそう聞いた。
「そうなんです。インドのシタールという民族楽器を長いことやっています。向こうでコンサートをやったり、日本で仲間とライブをやったり、大使館でやらせてもらったり。CDを三枚くらいは出しましたね」。
手拭いで雨と汗交じりの顔を拭きながら、感じ良く答えてくれる。
「しかし、どうして植木職人になられたんですか?」
「それはですね、日本で音楽をやると、すごくお金がかかりますし、私もその他大勢と同様、やり始めたはいいものの途中で行き詰まってしまったんです。どうしようかなと思っていた時、ちょうど目の前のお屋敷で植木屋さんが作業していて、そのままふらふらと引き寄せられるように、弟子にして下さいって。それからなんですよ、植木屋になったのは」
「最初きつくなかったんですか?」
シタールという民族楽器である程度成功を納めた後で、楽器を剪定バサミへと持ち替えた時の気持ちを考えれば、どれだけ大変なことだったかは、想像がつく。
「植木屋になりたての頃、師匠が言ったんです。 『俺が教えられるのは、はさみの持ち方ぐらいのもんだ。あとはこいつが教えてくれる』そう言って、庭の樹木を指差しました。冗談きついなぁって思ったけど、それが最近わかって来たんです。数年前、あるお屋敷でいつものように木の手入れをしていた時、気が付くと頭が『かぁっ』となっていて、どこかに飛んでいったような感じになったんです。つまり簡単に言うと、トリップしてたんですね。気付くと木はきれいに仕上がっていました。この世界に入るまでは植物なんて電柱や看板と同じくらいにしか考えていなかったんですけど、それ以降、植物が生きていて、感情もあって、呼べば答えることを実感し始めたんです。そしたら音楽も再開して見ようかなって気になって、少しずつですけど、改めてやり出したんです。木のおかげですよ。だから感謝の気持ちを返したくて、最近、木を題材にした新しいCDを作ったんです。興味があれば、明日持って来ますよ。是非、聴いてやってください。そして、木にも聴かせてやってください。木も元気になると思うから」
そうやって一気に仕事や音楽のそれまでのいきさつを話し終えると、彼は立ち上がって庭をぐるりと見回し、「雨も降っているし、それじゃ明日また伺います」と言って帰って行った。
引き寄せられるように入った世界で、庭という宇宙を学んでいる植木屋さん。たくさんの木々からエネルギーをもらい、それをまた彼なりの方法で木々に返し、他人には計り知れない宇宙を作っている。そんな植木職人、いや、ミュージシャンがとても素敵に思えた。
次の日の夕方、作業が全て終わった後、家の周りにはまるで禅寺の庭園のような清々しさが漂い、見ていると自然と背筋が伸びるような気がした。
「ありがとうございました」と言いながら、謝礼の入った封筒を両手で受け取った植木屋さんは、帰りがけに約束のCDを差し出した。タイトルは『樹宙』。「樹宙」は恐らく彼の造語だろう。
その年の秋、庭にある柿の木は思いのほかたくさんの実をつけた。
翌年私が引っ越してからも、毎年秋になると女主人の先生から柿が送られて来る。そして私はそれを頬張りながら、植木屋さんから貰ったCDを聴き、時々彼のことを思い出すのである。