周来友エッセイ「プラットホームの風景」

「プラットホームの風景」

                                                                 


 まだ肌寒い三月末のある日、通勤ラッシュが終わった午前十時頃、新宿駅京王線のホームで電車を待っていた。
 調布に住んでいる友人と会うため、急行に乗ろうとしていた。

 先ほど、エスカレーターの手前で見かけた、中年の女性と若い男性が大きな箱を二人がかりで抱えながら降りて来るのが見えた。十数年もこの国際大都市で養った目で、何となくその二人が日本人でないことは遠くからでも見て取れた。

「ハシモトはどっちですか?ハシモトはどっち?」

 ホームに着いた途端、目の前を過ぎる人、だれかれ構わず声をかけてはみるものの、聞かれた人は皆自分には無関係と言わんばかりの態度で、わからない振りをしたり、逃げるようにその場から離れたりするばかり。

「ハシモトは……」

 今度は向きを変えて私に近寄ってきた。私は迷わず自分が立っている側の線路を指差した。
 もっぱら大声を出しているのは中年の女性だったが、若い男性は静かにその様子に従っているようだった。

「これはハシモトですか? ケイオウナガヤマまで行きますか? 降りますか? 降りなくて行きますか?」

 彼女は慌ただしく外国人特有のアクセントで懸命に話している。
 何度となく聞くと、彼女の話の大方はこうである。

「ここから乗って京王永山まで行くのに、乗り換えが必要か。橋本行きなら乗り換えずに行けるはずだが、次に来るのはどこ行きか。それならどこで乗り換えればいいのか。私は明日帰るので一緒には行かないが、息子は日本語を勉強するため、京王永山まで友たちの住むアパートに行く。乗ったことがないので行き方がわからない」

 ここまで来てやっと、二人の関係が親子で韓国人であることが明らかになった。
 それにしてもずいぶんパワフルでにこやかな母親である。息子もまた年齢に似合わず、大人しくて落ち着いているように見える。
 私はその不慣れな親子のために四苦八苦し、次に来る電車は多摩センター行きで橋本へは行かないが、乗り換えなしで京王永山には行けること、また自分も途中までは一緒だということを親子に伝えた。
 数分後に電車がホームへ滑り込み、親子は二言三言、韓国語で言葉を交わし、大きな荷物を二人で力を合わせて電車に運び込んだ。
 入口の隣に座った私がちらりと横の方を一瞥すると、すでにドアが閉まった車両から、ホームで手を振っている母親に何度か小さな投げキッスを送っている、あの静かな青年が目に入った。
 少し気恥ずかしさを感じたものの、彼が別れを芯から惜しみ、そして母親を心配させまいとしているように見えたのも確かだった。
 電車が動き出して、ホームを後にしてから、青年はようやく私の右隣に腰を下ろした。しばらくして、急に思い出したように彼は私に話し掛けてきた。

「ワタシ、アシタ、ニホンゴ、ベンキョします」

「そうですか。頑張って下さい」

 そう言いながら、私は再び彼を見た。
 微笑みながら話す、縁なし眼鏡の奥からは少し不安そうな表情も覗けたが、頑張ろうというやる気の方がむしろ強く感じられた。
 何だか心から応援したくなった。というのも私は彼と同じ身分、同じ気持ちで日本にやって来た際、東京で彼と同じような出来事に遭遇したことがあったからだ。

 忘れもしない一九八七年三月二十一日のこと。大きなトランクを引っ張りながら、私は成田空港の到着ロビーから一人で出てきた。
 約束では東京の東池袋にある日本語学校の先輩が出迎えに来てくれるはずだったが、なぜかいくら待っても現れなかったし、電話をかけても誰も出なかった。
 待ち切れなくなった私は、インフォメーションカウンターまで足を運んだ。

「トウキョウマデドノヨウニイキマスカ?」

 早速、来日前に大学の日本人留学生に特訓してもらった成果を発揮し、女性の係員に尋ねてみた。笑顔の彼女はメモ用紙に「五」の数字を書き記し、外にあるリムジンバスの乗り場を指して、ゆっくりと答えてくれた。

「五番のバスに乗りなさい」

 と。東京駅行きのリムジンバスには乗ったものの、終点八重洲口で降ろされた自分は途方に暮れた。
 一体どうすれば、目的地の学校まで辿り着けるのか。帰宅の足を速める人の流れに、誰に聞けば良いのか。小雨の中、私はただ身をかがめながら待つしか出来なかった。

「あ! 外国の雨は冷たい……」

 夜になってやっとかけ続けた電話が通じ、私は例の先輩が迎えに来てくれるまで東京駅で待った。降る雨が北京より何倍も冷たく感じた。

 最近、勢いが少し鈍ってきたとは言え、外国から東京の厳しい試練を受けに、私と同じような若者は現在も続々とやってくる。
 隣の韓国人青年のように、自分の夢を探しに来る彼らは、この異国の日本で辛抱強く寂しさに耐え、苦しいながらも、堅実に生活基盤を固めていく。
 やがて、どこの商店街の物価が安いとか、どう乗り換えれば運賃が安くなるとか、誰よりもわかるようになり、不完全な日本語も次第に上達するのだ。この背の高い青年にしても、母親の期待にこたえて明日からはきっと一人で迷わず、京王線に乗って学校に通うのだろう。

 私はそう思いながら、調布駅のプラットホームで、彼が電車の強い風と一緒に去って行くのを見届けた。

 またその強い風が春一番のように感じたのである。