周来友エッセイ「ジャパニーズドリーム」

「ジャパニーズドリーム」

                                                                 


 エスニック色豊かな新大久保の駅前に『CASA』というコミュニティレストランがある。
 そこに来る客の七~八割は外国人で、特に中国人や韓国人といったアジアの人々が目立つ。
 交通の便が良いことも手伝って、私はしばしばそこを待ち合わせ場所として利用している。

 ある平日の午後、入り口に近い禁煙席に着いて、私はドリンクの飲み放題を注文し、ティーバックのお茶を啜りながら、待ち合わせ相手が現われるのを待っていた。
 入り口からやはり外国人風のアベックが入って来た。私の目の前を通って間もなく、男の方が突然振り返って、私をじっと見て、思い出したかのように目を輝かせ、弾んだ声で中国語を発した。

「还记得我吗?是我呀!我是丁文彬」(覚えてませんか? 僕ですよ! 僕、丁文彬です)

 私は一瞬自分の目を疑った。
 世の中、偶然ということが本当にあるのだと不思議に思いながら、見覚えのある顔を確認した。血色の悪そうな黄色い顔、目じりが吊り上がった細長い目。
 紛れもなく彼は私より一年遅れて、就学ビザで来日した北京出身の後輩である。後輩と言っても、実は年上である。

「まだ日本にいるのか?とっくに国に帰ったのかなと思ったよ」

 私はびっくりして、つい本当の感想を漏らした。

「いや、帰ってませんよ。私は今、高田馬場で中華料理のレストランを経営してますから」

 私と握手を交わした後、彼は連れの女性を奥の席に座らせ、少々ビール腹になっていた体を揺すって、私の前の椅子に腰を下ろした。

「日本に来たばかりの時は大変お世話になりました。いつか恩返しをしようとずっと思ってましたよ」

 私には大した彼を世話した覚えはないが、東京で初めて会ってからは何となく気がかりだった。
 思えば、彼は来日前に私が在籍していた大学で、留学生宿舎の管理人をしていて、確かそこに宿泊するある日本人の留学生から日本留学の世話になり、十数年前、私の後を追うかのように東京にやって来た。
 成田空港に着くなり、その足で当時私が住んでいたアルバイト先の会社の寮まで頼って来た。私は彼のためにアパート探しに奔走し、アルバイトの斡旋もした。
 そう言えば、その年の暮れに、こういうこともあった。

「バイト先の経営者が約束の時給で給料を払ってくれません。自分は日本語がまだよく話せないので、代わりに交渉してくれませんか?」

 彼は私のところにやってきて、泣きそうになって訴え始めた。
 話を聞くと、どうやら彼はつい二ヶ月前から新しく見付けたある中華料理屋の洗い場のバイトを始めたらしい。一ケ月の試用期間が終わったにもかかわらず、経営者は日本語が不自由なことを理由に彼の時給を上げてくれないという。
 洗い場の仕事は接客をする必要がなく、言葉が達者でなくとも商売には何の支障も来たさないはずなのに。

「これは明らかな外国人差別だ!」

 私は憤慨した。早速、彼と一緒にその中華料理屋に向かった。
 毅然とした交渉の結果、日本人の店主に面接の時の約束通り、時給を五十円アップさせることを承知させた。
 翌年の春、彼が自分の妻とその妹の留学手続きを済ませ、二人を東京に呼び寄せたことを最後に、連絡が途切れて、行方はわからなくなった。

「妻の妹のことを覚えていますか?彼女は数年前に日本人の男性と結婚して、今は三鷹にマンションも購入しましたよ」

 彼はしばらく自分たち一族の成功談に花を咲かせ続けた。自信溢れる口ぶりからは、苦労した時の面影を少しも覗けなかった。

「妻が日本の大学に受かってくれたお陰で、僕は家族滞在ビザで専ら仕事に専念することが出来ました。一日三つの仕事を掛け持ちでやり通し、僕たちは必死にお金を稼ぎました。妻が大学を卒業すると同時に、二人でこつこつと働いて貯め込んだ二千万円の大金を使い、来日当時からの夢だった中華レストランを作り、オーナーになりました」

 夢の話が終わった後、中国語での会話は彼の現実生活に及んだ。

「有孩子了吗?」(お子さんはいるの?)

「有一个上小学五年级的男孩儿。他叫佐々木和雄。 」(小学校五年生の長男がいます。佐々木和雄というんですよ)

「为什么是日本人的名字呢?」(どうして日本人の苗字になってるの?)

「对了。孩子出生前我们已经归化成日本人了」(そうそう。子供が生まれる前に僕たちは帰化して、日本人になったからです)

 二度びっくりした私が社交辞令で

「商売は順調?」

と聞くと、彼は細い目を更に細めた。

「毎日、忙し過ぎて休めません。だから今日のように、こうやって私は午後の休憩時間に妻の目を盗んで女友達と会っているのです。機会があったら、是非食べに来て下さいよ。本当に美味いから」

 最後に彼は抜かりなく、名刺を一枚残して、奥のテーブルに戻って行った。名刺に印刷されたレストランの名は「北京」。

 その昔、ジャパニーズドリームを求めて、たくさんの中国人が菜刀(包丁)・剪刀(裁縫ばさみ)・剃頭刀(かみそり)という『三把刀』(三種の刃物)を持ち込んで日本にやってきた。
 やがて苦労して成功した人は老華僑となり、新しく渡航して来る後輩たちの目標となった。
 そして、後輩たちも特有の生命力とネットワークに物を言わせ、この『北京』とかという中華レストランのオーナーのように、成功の早道として先を争って帰化し、新しい華人となって、国籍にこだわり続ける先輩たちをアッと驚かせるのである。